CPI FREAK のあゆみ

2004年1月のサイト誕生以来、多くの方の訪問がありました。このページではサイトのできるまでと、今までのサイトでの出来事を、勝手に武蔵野がまとめてみました。

★サイトができるまで(〜2004年1月)

「CPIって何?」 

「最近、流行りのアジアンスクーターだよ」

「で、どうよ?大丈夫なの?」 

「いや〜わかんねえけど、ヤマハ系らしいよ」

「じゃあ、大丈夫かね。それにしても安いね。バッタもんじゃあないの?」 

「この前、山葉に××されてたな」



「ダメじゃん!」


 サイトが出きる前、こんな会話が近所のバイク屋さんでありました。そんなある日、ヤフー掲示板への書きこみを覚えた武蔵野は、興味本位でCPIを検索してみることにしました。するとあるではありませんか。「CPI乗っとけ?!タイワネーゼの真価は?」というトピックが。
 さほど投稿数の多くない板でしたので、最初から目を通してみると・・・・・何か変。何が変なのか。それは語っている人達(トビ主さん、ビート改めこちBさん、ハックラックさん)の誰もがCPI車を持っていないのです。そのため、入庫状況などの情報はあっても、実際のユーザーの話が全然無いのです。そこでポップコーンユーザーである武蔵野が投稿させていただきました。それが武蔵野とネット上のCPI仲間との最初のコンタクトでした。
 書きこみを続ける中、掲示板での話題が多いと楽しいと感じるようになり、武蔵野は2004年の元旦には、バイク屋さんから強引に借りてきた試乗車に乗って、神奈川に帰省しているハックラックさんの家まで押しかけていきました。  ※この時、初めてネットで知り合った人と会いました。
 そして試乗会ネタを掲示板に投稿していたのですが、自分の書いたことが書きなおしできないもどかしさを感じ、この際なのでサイトとして情報を保存することにしました。そう思い立って、半日で作り上げたのが「CPI FREAK」です。始動当初は、ライナーの試乗レポートくらいしかコンテンツが無かったので、サイトの方向性としては、サイト訪問者の方々からの投稿をメインとした、情報書庫サイトとして作ることにしました。ちなみに、サイト管理者である武蔵野が、スクーターにはあまり詳しくないことが、このサイトの方向性をそうさせたことは公然の秘密です。

 その時に事故が起きました。ヤフー掲示板。「CPI乗っとけ?!タイワネーゼの真価は?」を立ち上げてくださったレイニーさん(ポンちゃんことオサム君)が大怪我をして入院してしまったのです(応援ページ)。そもそも、マイナーなCPIですから、情報が集まるような場を最初に作るには、そうとうの苦労があったはず(ヤフー掲示板の最初を参照してください)。レイニーさんは掲示板という公の場での話題作りによって、ハックラックさん、ビートさん、ピンク(親方)さんqg93dさん、そして武蔵野の関心を引いて、話し合いの場となるまで掲示板を育ててくれたのです。ですから、「CPI FREAK」はヤフー掲示板の維持も図っています(時々、落ちそうになってる!?)。そしてヤフー&サイトの掲示板にレイニーさんが書きこみをしてくれることを願って、サイトは運営されています。


★初めての投稿(2004年2月〜)

自分の記事だけではなく、ハックラックさんがツーリングレポートを投稿してくださいました。以後、かずさん、親方、triさん、ビートさん、taka496さん、マニラ男さんからの投稿をいただき、編集をしていると喜びを共有することができてるようになりました。関西で広く活動しているKazuさんの投稿は、瀬戸内好きの武蔵野の旅情を掻き立てました。全国を股に大活躍の親方の投稿には脱帽し、そのまま髪の毛まで脱ぎたくなりました。その位にぶっとんだレポートです(続きは親方のサイトをチェック)。triさんはカスタムや、キャンギャルの投稿で沸かせてくれました。ビートさんはマックススターを楽しんでいる様子がほほえましいです。taka496さんは初めてのバイクライフをライナーでどんどん開拓しております。そしてハックさんは、少ない時間でもバイクを楽しもうと、常に貪欲です。便利なアイテムであるスクーターを通して、新たなる地平が拓けてきました。


★初めてのオフ会(2004年3月)

 2004年の1月に立ち上げて、とうとう3月には初めてのオフ会を開くことになりました。それまで、実はハックラックさんとしか会ったことがありませんでしたが、当日は多くの方の参加をいただきました。初めてでも、同じモノを愛し、同じ嗜好の者が集まると、これまた楽しいもの。学校や職場とはまた違った人間関係ができるきっかけとなりました。


★キャンプへの関心の高まり(2004年5月〜)

 オフ会はサイトから最初に飛び出した行動でしたが、BBSではハックラックさんが発端となり、キャンプへ関心が高まっていました。道具選びの話題から、購入、そして実地へと、これまた行動に移されるようになりました。その第一弾が清水でのキャンプオフでした。この時はtriさんとハックラックさんが大阪から、武蔵野とビートさんは東京&埼玉から、親方は都内からの参加となりました。この時のキャンプは、2004年夏の伊那オフ、2005年夏の道志オフへと繋がっていきます。


★非日常のオフ会から日常のオフ会へ(2004年夏〜)

 しっかりと準備をして集まるオフ会がいくつか行われる中、大阪でのラーメンオフ(キムコの掲示板)に触発されて行われたラーメンオフin赤坂をキッカケに、比較的ライト感覚なオフ会が催されるようになりました。初対面でいきなりエンジンがかからなくなり、外装を全てばらすハメになったマニラ男さん、皆が甘い物好きなことが分かったスイーツの会・・・開催された数はレポートの数を遥かに上回ります。そしてポプコン八王子さんのポップ救済のために皆で集まるようになる頃には、かなりのメンバーが集まっていました。この時期には、サイト参加者(通称:フリークス)はスイーツを堪能する怪しい集団へとなっていました。ちょうどこの時期にマニラ男さんがよく参加するようになったことは、偶然の一致??いつからスイーツの会になったのかな。不思議だなあ(笑)


★サイトの仲間に支えられる武蔵野(2004年8月)

 2004年8月、武蔵野は事故に遭いました。その時の怪我は普通ならば半身不随となる大怪我でした。痺れた左足がいつ麻痺によって動かなくなるのか・・・不安な療養生活を送って・・・・・いません。なぜなら、フリークスたちに心の奥底から支えられていたからです。遠くからお見舞いに来てくださるたびに、元気を貰ってきました。怪我の前に新車を注文していたのですが、そのことが却って復帰への目標となっています。今(2005年8月)はまだ、そのマシン(YZ250F)はバイク屋さんのショウウィンドウの中にありますが、必ずや復帰しますよ〜


★オレンジ班の結成

 2004年の夏はフリークス誕生の年でした。2ストロークエンジンをこよなく愛するマニラ氏が2st改造をもじった「2st壊チーム オレンジ班」を名乗り始め、賛同者がぞくぞくと手を挙げたのです。そもそもイジリ好きのマニラさん、好奇心も人並み外れていて、どんどん部品を買ったり、自作していきます。そこにチューニングの専門家kaoruさん、ストリートマシン最速を目指すカシンさんが加わると、もう誰も邪魔できません。カンさん、ハラショーさんを巻き込みながら、サイトを引っ張る存在となりました。
 それを見ながら、純正部品の流用と、怪しい自作部品に嵌っていた武蔵野は、「蒼い彗星」ならぬ、「青ざめたポップ」をいじっておりました。


★CPI製品国内存続の危機

 2005年初旬、CPI製品を主に扱っていた高松産業(輸入代理店)は、CPiの車両並びに部品の卸しを一方的に止めてしまいました。海外の珍しいバイクを扱う中小企業にはよくあることですが、ある日、突然、部品が日本に入ってこなくなってしまうというのは、困りものです。外装はダメでしょう。でも幸いにして、CPIは様々な日本製バイクのコピー製品。様々な部品を試しながら、少しでも今のマシンに長生きしてもらとうと、日夜、頑張っています。


★SS1/32マイルへの参加

 スクーターでの50メートル走と言えば、kaoruさん。しかし当初は応援だけのはずが、次第にかしんさん、マニラさんもその魅力に取りつかれ・・・・・ミイラ取りがミイラとなったのでした。だいたいマニラさんは応援という名目で会場に行ったはずなのに、ツーリングバックを付けたままで参加してしまったのです! ツーリングと短距離走。この二つの指向が、サイトの幅を広げていると思います。あるいは、修理の質問に対して、答えが一つでなくなる理由というか・・・・・。耐久性重視のツーリング部と、パワー重視(しかもほんの数秒間)のSS1/32部。かなり、両極端でしょ?



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